おかげさまでありがとうございます。
今月は、愚痴は愚痴を呼ぶということを心に留めてください。
いつも、置かれた立場を最大限に感謝して心折れずに前向きに頑張ってほしいとお伝えしています。これは本当に大切な事だと思っています。しかし、それと同時に自分が抱えている大変さを受け入れるという事も大切だと思っています。例えば今は暑いですよね。近年の暑さは、エアコンをつけたら涼しいのですが、それでも体調を崩す人も増える程の過ごしにくいものです。これはある意味仕方ないですよね。自分がどう頑張っても急には地球の温度は下がりませんから。その暑さを受け入れた中で、じゃあどうして行くかという事が大切になってくると思います。老いもそうです。これは全ての人に等しくやってくるものです。それ以外にも、その方その方が抱える特別な大変さというものがあると思います。これもまずは受け入れるという事が大切です。例えば、手や足を失ったとして、他の人にはあるのに、どうして自分には無いのだろうと悲しんでいても何も変わりません。一生懸命に拝んでいたら手足が生えてくるという事でもないと思います。しかし、その大変さや不自由さを解消する事は出来なくとも、その中で幸せを感じられる日々を過ごす事は絶対に出来ると思っています。自分の大変さを受け入れた上でどうして行くのかというその方の心が大切であると思うし、その心が時として奇跡と呼ばれるような神のご加護をもたらすのです。
そうは言っても、痛い時は痛いし、苦しい時は苦しいです。それを感じる人間的な感情を持つ事を否定している訳ではありません。それはごくごく自然な事だと思います。じゃあ、その感情をどうやって口に出しますか?口から出る言葉は皆さんの心のフィルターを通っています。たまに弱音を吐くのも人間らしいけれども、いつも文句ばかりになって、自分の口からドロドロとしたものを吐き出していたら、必ずそれは自分に返ってきます。辛さをぐっと我慢できる忍耐力と、どんな時でも感謝できる心が、辛い現状を打破する方法なのだと私は思います。生きていれば、ただただ楽しく幸せな毎日ばかりではないと思いますが、どんなに苦しいと感じる事があっても必ずまた幸せを感じる事もできます。これが信仰の有り難さです。是非とも自分の大変さを受け入れ、乗り越えてください。そして、少しでも多くの幸せを感じる日々を過ごされる事を願っております。
おかげさまでありがとうございます。
合掌
浅田 芳順
(令和七年八月一日 法話より)