おかげさまでありがとうございます。

「感謝は感謝を呼び、愚痴は愚痴を呼ぶ」

 これは、生前、妙浄大法尼がずっと言われてきた事です。同じく言われてきた中に、コップ一杯の水を飲める事に感謝しなさいという話があります。口で言うのは簡単ですが、これを実践するのは中々難しい事だと思います。例えば、暑い日に遠い道のりを歩いて行って目的地に着いた時、そこで冷たい水を頂けたら、それは素直に感謝しやすい事でしょう。しかし、何気ない日常で自分で汲んで飲む水は、多くの人にとってありふれた物と捉えられると思います。もし何らかの事情があって沢山の水を飲まなければいけない場合、水は厄介なものになるかもしれません。水そのものの価値は全く変わらないのに、その時の状況によって人間の受け止め方が変わるのです。何とも人間は勝手なものだと思います。しかしどんな時でも、その水の持つ価値、有り難さを決して忘れてはいけません。増してや、「なんや水か。本当はお茶が良かった。ジュースが良かった。お酒が良かった。」などという心は絶対にいけません。こういう愚痴の心を持つ人は、いつか水さえも飲めなくなるのだと思います。どんな時でも、水を飲めるのは有り難いと知っているのではなく、心の底から水を飲める事を有り難く思えるのが一番です。しかし仮にそう思えなくても、絶対に愚痴や不満の心を持ってはいけません。それは、愚痴や不満を垂れ流して発散しているように見えて、実は刃で自分の身を切り裂くのと同じです。仮に心の底から感謝する事が難しくとも、愚痴の心を自分で戒める事は出来ると思います。もし愚痴や不満を持ちそうになったら、「いやいや至らない自分は中々そう感じにくくとも、これは有り難いものなんや」と自分に言い聞かせて戒めてください。

 全ての人間が、この世に生まれていつか死を迎えるという宿命を持っています。それ以外にも、生まれ落ちた性別、親子の縁などの宿命をそれぞれが持ち合わせています。その影響を薄くする事は出来ても、どう足掻いても全く無かった事には出来ないし、この宿命は変えられません。しかし、運命は変えられます。不運続きな人が幸運に恵まれる人生、これは叶う事ができます。その為には置かれた立場を最大限に感謝することです。決して人に無いものを持っているから幸せだとか、人が持っているものを持っていないから不幸だとか、人と比べてどうこうというものではありません。ただ、今自分に与えられたものを心の底から感謝する事です。そして、その感謝の気持ちを神仏への帰依、周りの人への布施、社会貢献などの功徳として表す事です。その功徳がみなさんを幸福へと導きます。もし感謝が難しいと感じるなら、毎日意識して感謝できる事を探していただきたいと思います。道端に咲いている花を美しいと思えたら、それはとても幸せな事です。自分の周りにある幸せを見つける練習をしてください。感謝溢れる毎日を過ごし、より幸せな日々を迎えていただきたいと思います。

 おかげさまでありがとうございます。

合掌

浅田 芳順

(令和六年六月一日 法話より)