おかげさまでありがとうございます。
今月は、神を崇めきるという事についてお話をさせていただきます。
対照的な2人の方のお話です。
私には、ご自宅にお伺いして家を清めたり回向をしたりする機会があります。家の中に入らせていただくと、道場でお会いしている時にはわからない空気を感じる事があります。
ある方は、仕事で忙しく週のうち自宅に帰るのは数回だと聞いておりますが、神棚も仏壇も綺麗に掃除され可能な限り丁寧にお祀りされているなと感じておりました。いつもお伺いする度に、「もうダメだと思う事があっても、不思議と助けていただいて乗り切る事が出来ています。」と話されます。先日もお伺いすると色々と質問させて欲しいと言われ、とても細かな事を尋ねられました。正直なところ、質問の内容としてはどちらでも良いなと感じる事もあったのですが、気になるならこういう風にされてはと話していると、「もしも神様に失礼があったらと思うと恐くて」と言われます。その言葉を聞いた時に、この方は、単に有り難いだけでなく神に畏れを感じておられるのだなと思いました。その心が不思議と助けていただく事に繋がっているのでしょう。
もう一人の方は、長年にわたり信仰されてきた方ですが、その間にご家族の中で何度も大きな災難を受けて来られた方です。私の記憶の限りでは初めてご自宅にお伺いさせていただいたのですが、かなり長い間神棚を放ったらかしにされていたのだなという印象を受けました。ただただ勿体ないという気持ちになり、言葉には表せない何とも言えない感情になったのを覚えています。
みなさん、有り難いですと言われます。そう思われるのは結構なことですが、それだけでは神を崇めきっているという事にはなりません。有り難いだけの信仰は困った時の神頼みにもなりかねません。そんなものは崇めているのでも何でもなく神を利用しようとしているのだ、と私は思います。それほど恐ろしい事はありません。みなさんは本当に神を崇めきっておられますか?本当に神を崇めきる事ができたら、自ずと素直にもなれるし感謝も出来ると思います。神を崇めきるという事は信仰の原点です。今一度そこに立ち返り、ご自身の心を見つめ直していただきたいと思います。
おかげさまでありがとうございます。
合掌
浅田 芳順
(令和八年九月一日 法話より)