おかげさまでありがとうございます。

 今月は、布施の喜びを知っていただきたいと思います。
 布施にも色々なものがあります。一つは、お金を使ってする布施です。寄付や浄財がこれにあたります。もう一つは、体を使ってする布施です。一般的に思い浮かぶのがボランティアであり、うちのお堂でいうとお掃除や行事のお手伝いなどもこれにあたると思います。他に、お金と体以外のものを使ってする布施もあります。柔和な笑顔や優しい言葉で人の心を慰めたり癒やしたりすることも立派な布施です。
 これらは等しく貴いものであり、どちらの方が大事というものではありません。まずは、自分がしやすいと思うものからされるのが良いと思います。しかし、「私はこれをやっているから他はもうしなくて良い」というのは違います。得意な事も、不得意な事もしなくてはなりません。余りあるものを人に分け与えるのは難しくなくても、自分が余裕のないものを人に渡すのは難しいという人は少なくないと思います。自分がたくさん持っているものも、あまり持っていないものも、全て分かち合うからこその布施です。大事なのは何事においても自分の精一杯を尽くす事であり、その多寡は問題ではありません。あらゆる面での布施を心がけていただきたいと思います。
 もう一つ大事な事は、「布施をする」のではなく、「布施の喜びを知る」ことです。布施による人の喜びは必ず功徳となって返ってきます。しかし、それは結果として功徳になるのであって、それを求めてするものではありません。功徳になろうがなるまいが、それはどうでも良いことであり、たださせて頂ける事の有り難さや喜びを感じていただきたいのです。返ってきたから有り難いのではありません。させていただけたから有り難いのです。
 また、お伝えしておきたい事があります。先月も三日間の夜中の行を行いました。この初日の護摩が非常に悪かったのです。悪い護摩と言っても色々な種類があるのですが、それを全て詰め込んだ様な護摩でした。この数年の中では群を抜いた強烈な悪い護摩でしたが、翌日の夕方に熊本県で地震がありました。被害の全容もまだはっきりしない状況ですが、被災された方には心よりお見舞い申し上げます。この護摩がこれを示唆していたのかは分かりませんが、改めて衝撃を受けた事を覚えています。二日目、三日目の護摩は厳しい中にも消えることなく無事に行を上がらせていただきましたが、これで難を逃れたなという気持ちに全くなれないものでした。みなさんにも、少なくとも今年中は、それほどに悪い護摩があったという事を心の片隅に置いて、自重して過ごしていただきたいと思います。

 おかげさまでありがとうございます。

合掌

浅田 芳順

(令和八年八月一日 法話より)