おかげさまでありがとうございます。
今月は、独りよがりにならないように気をつけてください。
よく皆さんに「信念を貫いた信仰をしてください」と伝えています。しかし信念と独りよがりは似ているようで全く違うものです。たまに自分では信念だと思っておられるのだろうけど、独りよがりだなと感じる時があります。これは非常に危険な事です。そうならない様に素直さと謙虚さを大事にしていただきたいと思います。
先月も夜中の行で三日間にわたり護摩を焚かせていただきました。どの護摩も消える事はなかったのですが、良い護摩だとは言えない護摩でした。初日はただ消えなかったというだけの護摩であると思いました。二日目は幾分良い護摩となりましたが、三日目がどうにも気になる護摩でした。護摩線香を櫓に組んでそこに種火を入れるのですが、種火は普通上に燃え上がってきます。しかし三日目の護摩は上に上がらず、櫓に組んだ線香を伝って横に横にと広がっていくのです。ちょうどネズミ花火に火が点いているかの様に、消える訳でもなく、しかし燃え盛って上がるという訳でもない状態が続きました。あまり経験した事のない護摩です。そして、その数日後の特護摩では、消えこそしなかったものの「消えるのかな」とヒヤッとさせられる護摩となりました。そのヒヤッとした感覚が日常のヒヤッとする感覚に通じるものを感じます。例えば事故に遭いかけたとき、危ない目に遭いかけた時、ヒヤッとする事があると思います。その感覚を味わう場面に出くわす事があるのではないかと思います。仮にそういう場面に出くわしても、ヒヤッとするだけなら良いのですが、その先に行ってしまわない様にしていただきたいと思います。その為にも、独りよがりにならない事が大切です。これで大丈夫と思って止まるべき所で止まれなかったら、大変な事になります。
神の導きや教えは法話の中にだけあるものではありません。私は自分の目にうつるもの、耳に入るもの、あらゆるものが自分と縁があり、そこに学びや教え、神の導きがあると思っています。例えば、車を運転している時に信号ごとに赤信号になると、正直運転しづらいです。しかし、そんな時は、危ないから焦らないよう注意を怠らないように教えていただいているのかなと考えます。日常にある神の導きを取りこぼしてしまわない様に、素直で謙虚であっていただきたいと思います。そうする事が大きな難を逃れる事やチャンスを掴む事に繋がるのだと思います。
気になる護摩が続いておりますので、危機的な事がもし皆さんに襲いかかるのであれば、どうか謙虚な心で神の導きを見逃さずにそこを乗り越えていっていただきたいと思います。
おかげさまでありがとうございます。
合掌
浅田 芳順
(令和七年九月一日 法話より)